ミステリー

米澤穂信

ジュブナイル系ミステリーの書き手として、最近注目の方らしいです。実はまだよく知りません。これから頑張ります。

「春期限定いちごタルト事件」
創元推理文庫 2004

難関校に合格した「ぼく」と小佐内さんは、これからは「小市民」として平和に静かに生きると心に決めていた。事件があっても見て見ぬふり、誰かに何かされても普通の人のように何事もなく受け流し、社会の片隅でひっそりと生きるのだ。
しかし、持って生まれた性格も世間も、そんなに甘いものではなかった。

高校1年生の「ぼく」(小鳩常悟朗)が、微妙に鬱屈した語り口で語る、日常の中の事件。殺人も暴力もない、ライトなミステリーです。主人公の相棒、小佐内さんが甘い物が大好きなので、お話の中にはおいしそうなお菓子がいっぱい(笑)。でも、かなり甘そうです。

いちごタルト事件は、春期限定のいちごタルト販売最終日に、せっかく買ったタルト(しかも、ホールサイズを2個)ごと自転車を盗まれたお話。これは悔しいですよね。

主人公達の性格や行動に、ちょっといらいらさせられる部分もあるんですが、通して読んでみるとなかなか面白かったです。この人の作品を読むのはこれが初めてだったので、機会があったらまた読んでみます。
2004.12.23

「夏期限定トロピカルパフェ事件」
創元推理文庫 2006

小鳩君と小佐内さんのシリーズ第2弾です。

高校2年になった「ぼく」こと小鳩常悟朗は、今日も「小市民」を目指して地道な努力を続けている。恋愛関係ではなく互恵関係にある小佐内さんとの関係も相変わらず。目立たず、誰とも争わず、かといってクラスメートの誰かと必要以上に仲良くなることもなく、日々は淡々と過ぎていくはずだった。しかし、夏休み最初の朝、ぼくの家までやってきた小佐内さんはぼくに1枚の地図を差し出した。あちこちに印のつけられた町内の地図。それは小佐内さんの超力作「小佐内スイーツセレクション・夏」を示した地図だった……。

ふ(遠い目)。
ダイエット生活を直撃する厳選スイーツの嵐。ええ、読んでいるだけで頭の中がケーキで一杯になってしまいましたとも。特に、小鳩君でさえはまった「シャルロットのグレープフルーツのせ」は何を置いても食べてみたいです(笑)。それにしても、一つの街にそんなに沢山の甘い物屋さんがあるものなのでしょうか。喫茶店とかまで入れればあるのかなあ。ううむ。

甘い物に満ちた、でも、そこここに不安感が見え隠れする夏休みのお話。今の季節に読むとちょっと早い感じですね。物語としては、うーん、若いって痛いなあ、という……。大人の犯罪ではなくて、高校生グループのお話なのですが、彼らにしても、小鳩君と小佐内さんにしても、大変だなあ、と。もっとも、私は平和な女子校で高校時代をのんびり過ごしたので、ああいう子達が現実にいるのって実際にはあんまり想像できません。普通の人とずれている、ということに関しては、かなり苦労したんですけどね、私は私なりに(笑)。

続きが出たら読むとは思うのですが、それもやっぱり痛いでしょうか。女性作家が女性視点で小佐内さんの側の物語を書いてくれたら、ちょっと楽しいだろうな、とは思ったんですが、実現はないでしょう(笑)。いえ、作者自身にはやって欲しくないんです。多分そしたらずれてしまう。よくわかりませんけどね。
2006.04.22

「さよなら妖精」
創元推理文庫 2006(単行本は東京創元社 2004)

歴史的町並みを残す地方の小都市藤柴。無為に高校生活を送っていた守屋路行は、ある雨の日、友人の太刀洗万智とともに、雨に降られて途方に暮れていた異国の少女マーヤと出会う。傘を貸すつもりだけのつもりが、その日の宿もないという彼女に、宿屋の娘である友人を紹介することになった彼らは、彼女と友人づきあいをするようになる。日本を知ることが自分の仕事だと言うマーヤの口癖は「哲学的意味がありますか?」。彼女の目を通して、彼らはいつしか、自分たちを取り巻く日本の日常をとらえ直していく。しかし、予告された2ヶ月の期限が過ぎ、マーヤは帰国。約束されていた手紙は届かなかった。
時は1991年。ソ連崩壊の影響が東欧各国に広がっていった時代。マーヤの母国はユーゴスラヴィアだった……。

米澤穂信のシリーズ外の作品、文庫になったので読みました。
高校生の日常の事件という意味では同じですが、これは「小市民」シリーズとは随分趣きの違う作品でした。読んでいて、私が若い頃(苦)はこういう風に高校生が考える本ってあんまり知らなかったよなーとしみじみ。ただ、そこで続けて思い出したのは森雅裕の一連のシリーズでした。似て非なる物だけれど、やっぱりあったのかなと。ちなみに、どちらが好きと聞かれたら、断然森雅裕ですね私は(笑)。あのクールさが懐かしいです。

高校時代、私はこんなに物を考えていませんでした。自分のことも、他人のことも、こんな風に相対化して考えることはできなかったし、できることさえ知らなかったのだと思います。私の側にマーヤが来たとしたら、私は何を答えられただろうって、色々考えてしまいました。仲間の1人、一番普通の女の子であるいずるがそうであったように、国のことや世界情勢のことはほとんど話さないままに、日常のことに終始したのかもしれません。それは悪いことではないけれど、主人公からはきっと切り捨てられてしまうのでしょうね。そして「知らせない方がいい」と思われる(苦)。その方が幸せ、と言われればそうかもしれないけれど、私はやっぱり、そういう風でありたくはありません。

ユーゴスラヴィア、その後と今はどうなっているんだろうと思って、思わずちょっと調べてみてしまいました。あのころ、私は平和な日本でやっぱり何も考えずに暮らしていたんだろうなって思います。心苦しいけれど、それが現実。マーヤの見ていた「7番目」はもう地上のどこにも存在しません。消えてしまった理想はどこへ行くのでしょう。それでも人は、進んでいかなければならないのです。

ところで、先日読んだ「夏期限定〜」の時も思ったのですが、この著者の女性観、というか女性の描き方、なんだかちょっと嫌な感じがします。特に、意志をしっかり持った女の子の感情の描き方がなんだか……。男性の目から見るとこうなっちゃうんだろうかと思うと、かなり嫌ですねー。
2006.06.18



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