ミステリー

三崎亜記

ジャンル的にどこに入れていい物かわからないので、とりあえずこちらに(笑)。まだ、この1冊しか読んでいません。

「となり町戦争」
集英社文庫 2006(単行本は集英社 2005)

地方都市でごく普通に暮らしていた「僕」はある日、自分の住む町の広報で、自分の町ととなり町との間で戦争が始まることを知った。となり町は会社までの通勤経路上にある。しかし、戦争が始まった朝、何かが違ってくるのではないかとそれなりに緊張しながら車を走らせた僕が見たのは、いつもと何一つ変わることのない、ごく普通の町の姿だった。どこか見えないところで、静かに進む「戦争」。広報に掲載される「戦死者」の数だけが語る事実。だがある日、僕の元に一通の任命書が届いた。それが、僕にとっての戦争の、本当の始まりだった……。

発表当時、結構話題になっていた本だったのだと思います。映画化もされたらしいので、それで手に取った人も多いのでしょう。ということで、文庫になったので私も読みました(笑)。いえ、私の場合は映画はどうでもいいです。見ないので(←目が弱いので見られないというのが正しい)。

それで、この本ですが、何だか引き込まれるように読んでしまいました。全体としては淡々と語られる、派手なドンパチがあるわけでもない物語なんですが、心底ぞっとさせられるとも言えるし、無関心の行き着く先を見せられている気もするし、でも、いくらなんでも、とも思う部分もある、色々な意味で複雑な感想を抱かせられる本でした。ちょっと、森博嗣の「スカイ・クロラ」シリーズのことを思い出させられたのですが、あちらはもっとずっとフィクション化されてますし、別の意味で怖いんですよね。それに対して、こちらの本の怖さは、本当に、日常の延長としての未来の怖さなのかもしれません。

経済効果だけを考えたとき、戦争は抜群の効果があるのだと、もうずっと昔に聞きました。だから、人間は経済的に行き詰まると戦争を始めてきたのだと。それがどこまで本当なのかはわかりませんが、停滞する経済を活性化させるための選択肢の一つとして戦争を選ぶことが認められたなら、例えば原発を招致するのと同じ感覚で、戦争を選ぶ首長がいても不思議はないですよね。だって、政治家はやっぱり政治家だから。そして、現代日本国民の「無関心」が、それをそのまま通してしまう可能性は限りなく高い。戦争を放棄するというのは、今のところはそれでも日本の大前提だから、現実には起こりえないことだと思いますが、でも、もしそうでなかったら? 戦争が公共事業のひとつとして認知されてしまったら?

主人公の「僕」は、割とどこにでもいるような、でもそれなりに内省的で分析的な青年です。彼の目を通して語られる戦争は、姿がなく不気味で、単なるお役所仕事の一環として処理される。けれど、もちろん、人は死んでいくのです。
私は戦争を認める市民にはなりたくありません。そのための駒にもなりたくない。それだけは、本当に、そう思いました。

というわけで、結構はまって読みましたが、ヒロインの描かれ方が、あまりにも男性趣味すぎるところが少し残念でした。それは、文庫に書き下ろしで追加されているサイドストーリーでも同じかな。女性視点で描くには、まだまだー(笑)。今後に期待しています。
2007.02.24



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