ファンタジー・国内

荻原規子

児童書系ファンタジーの第一人者。古代日本が舞台の「勾玉三部作」で有名でしたが、近年、ライトノベル系の「西の善き魔女」でも有名に。まっすぐで心の強い女の子が主人公の、成長物語が多いでしょうか。まあ、ぼちぼちご紹介していきます。

「空色勾玉」
徳間ノベルズ 2005(単行本は福武書店 1988、徳間書店 1996)

覚えているのは、遠い火の手。守ってくれるはずのすべてがその中に失われ、6歳の自分はただ怯えて逃げ続けていた。そして、見てはならない巫女の姿を見てしまった。
今もその時の夢を繰り返し見続ける少女狭也は、逃げ延びた先の小さな村で、輝の大御神を讃えて幸せに育った。しかし、ある日、楽人を装った5人組が訪れ、彼女に告げる。お前は闇の巫女姫、水の乙女だと。闇の氏族と共に輝の御子と戦おうと。
だが、彼女は光を、平和を望み、輝の御子である月代王の采女として輝の宮へと上がる……。

「勾玉3部作」の第1巻。すでに、「基本図書」に含めてもいい感じになってきた、児童書系和製ファンタジーの一つです。私は最初にハードカバーで出た頃に、図書館で借りて読んでました。福武書店のあのシリーズ、なかなかいい感じの本が多かったので、なくなってしまったのは寂しいことでしたね。その後、この3部作は徳間書店からふたたびハードカバーで出てましたが、ハードカバーだったので却下(笑)。今回、新書サイズで刊行されたので、とうとう買いました。文庫まではいかないでしょうしねえ。

狭也は、ちょっと向こう見ずなところもあるけれど、大体においては思慮深い、自分で考えて行動できる女の子。ただ、どうしようもなく光に惹かれてしまうのが、水の乙女の特質であるようです。物語は、輝の宮でどうにもならない現実を見せられた彼女が、隠されたもう1人の輝の御子と出会うことで大きく動き始めます。そう、この物語はいわゆる「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語でもあるんですよね。神々は、神々であるがゆえに人間の心を解さない。けれども、何とかわかってもらおうと、戦いを収めようとする狭也と、彼女についてくることを選んだ輝の御子、稚羽矢。なかなか初々しいです。

久しぶりに読んだら、大分忘れてました。面白かったです。逃げることなく真っ向から書いてる感じで、いいですねー。
あちらを読んだときには全然考えていませんでしたが、森岡浩之の「月と炎の戦記」は、実は結構この話とかぶっていたのかも。もちろん、味付けも展開も全然違うんですけどね。なんとなく。もっとも、記紀関連の物語の中では、この辺りはとても人気が高い気がするので、どうしても似通ってくるのかもしれません。そう、このあたりの和製ファンタジーを本当に楽しみたかったら、「古事記」と「日本書紀」(もちろん現代語訳で可)はおさえておきましょう。面白さ段違い(笑)。
2005.10.10

「白鳥異伝」(上・下)
徳間ノベルズ 2005 (単行本は福武書店 1991、徳間書店 1996)

闇の一族の血を継ぐ巫女の家系に生まれた遠子は、赤子の時に葦船で流されてきた小倶那と双子の姉弟のように育った。小さな頃から自分からは何も望もうとせず、何をされても甘んじて受けてしまう控えめな小倶那を、遠子はいつもかばい、代わりに戦ってきたのだ。しかし、2人が12歳の時、彼らの里にやってきたまほろばの大王の皇子は、何故か小倶那にそっくりの容貌をしていた。そして、彼は小倶那を、自らの御影人候補として都へ連れ帰る。2人は、生まれて初めて離ればなれになり、やがて、恐るべき運命に巻き込まれる……。

「勾玉3部作」の第2巻です。今回は、ヤマトタケルをモチーフにした物語。読んだかどうか記憶が定かではなかった(笑)のですが、読み始めてみたら、あちこちのシーンに記憶がありました。ああ、そういえばそうだったわ、みたいな(爆)。どうやら図書館で借りて読んだ模様です。その割には記憶がいい加減ですが、飛ばしたんだろうなあ。その辺が、借りて読んで勢いで読んだ本の弱点なんですよねー。持っていると、その後も何度も読んだりして補強していくんですが、なかなか。

ええと、少年少女の一途な恋心、というのがなかなか切ない作品でした。人物の印象と感情が強すぎて、歴史のうねりとかは戦の悲惨についてはちょっと弱いかな。でも、一気に読まされてしまう力がある。遠子は気が強くて頑張りやさんで、でも、やっぱり心弱いところも持っている魅力的な女の子。小倶那は繊細でやさしい、それなのに背負いきれない程の重い運命を押しつけられてしまった男の子。丹念に描かれる2人の心の揺れが、いかにもジュブナイル小説で、泣かせます。

ヤマトタケル、色々物語はありますが、どれも切ないですよね。いかにも日本人好み?
魂が白い鳥になって戻ってくる。白い鳥になって飛び立っていく。
遠子は小倶那をその運命から解き放つことができるのでしょうか。古代日本の幻、お楽しみください。
2005.10.22

「薄紅天女」 徳間ノベルズ 2005(単行本は、徳間書店 1996)

武蔵の国で郡の長の家に生まれ育った藤太と阿高は同い年の叔父と甥。双子の兄弟のように育ち、どこへ行くにも何をするにも一緒で、とにかく目立つ。年頃の少女達は寄るとさわると彼らの噂ばかりしていた。だが、藤太は、阿高自身は知らない阿高の秘密をずっと抱えていた。藤太が初めて本当の恋に落ち、阿高と離れて行動しようとしたとき、その秘密が目覚め、運命が回り始める。戦で命を落とした藤太の長兄の子、阿高は、見知らぬ母から蝦夷の巫女の血と力を継いでいた……。

「勾玉3部作」、最終巻です。3部作のうちこの本だけ、読んだことがありませんでした。どうやら、私が図書館通いをやめた後に刊行されたらしいです(笑)。

最後の勾玉は、薄紅色をした「明玉」。元は透明な石が、阿高の手に触れると薄紅色の輝きを帯びるようになるのです。時は桓武天皇の時代。平城京から長岡京への遷都が行われていた時代です。この時期、都は何者かの怨霊に悩まされ、闇が深くなっていました。今回のヒロイン、苑上は桓武天皇の皇女。そう、今回は身分違いの恋なんですねー。2人とも常識はずれの人間なので、あんまり関係ないですが(笑)。

自分自身ではなく、もういないはずの人の面影と力だけを求められたら、人はどうしたらいいのでしょう。自分が信じていた人が、人知を越えた大きな力を持ってしまったとしたら、その力を悪しきことに使おうとしてしまったら、人はどうしたらいいのでしょう。何を信じ、何を選べばいいのでしょう。と、今回はそういうお話でした。苦しくても、痛くても、人として踏みとどまる。平和で幸せな毎日を願う。それは、決してたやすくはないことだけれど。

3部作の中では、私にはこの作品が一番共感しやすかったかもしれません。蝦夷の人々の描かれ方にちょっとひっかかるものがあったんですが、他はそうかな、と。ある意味、だんだん人間の時代に近づいて、人が人らしくなっているからなのかもしれません。神の時代は終わり、人の時代が始まる。勾玉は力を失い、歴史に消える。神々や不思議がそのまま存在した時代の方が、ずっと面白そうですけれどもね。
2005.11.27

「樹上のゆりかご」
徳間C Novels Fantasia 2006(単行本は理論社 2002)

都立の名門伝統校、辰川高校2年の「私」こと上田ひろみが、生徒会執行部に関わることになったのは、ただのなりゆきだった。1年のクラスで一緒だった友人が執行部に出入りをしていて、そのつながりで頼まれごとをされたのだ。大学進学率の高さでも有名な辰川高校は、実は校内では受験勉強より何よりイベントが優先される個性的な学校。生徒会執行部は当然、その上に君臨する超個性派集団である。今年の生徒会長は鳴海知章。優秀で人望のある彼の元で、一連のイベントは順調に進んでいくと思われていたが、3大イベントの最初をかざる合唱祭で、生徒会が売ったパンに刃物が仕込まれ、売り子を務めていたひろみは否応なしに騒ぎに巻き込まれていくことになる……。

ええと、これはファンタジーではなくて、普通の高校生のお話です(笑)。でも、昔の高校のお話。作者が、後書きに「このような学校生活は、今どき異世界よりも遠いファンタジーではないかと考え、書いてみました」と書いていますが、確かにそうかもしれないなあ、と思いました。勉強よりもイベント。アカペラでクラス全員が合唱してハーモニーを競う合唱祭。夏休みを費やして準備する体育祭応援団の応援パネル(キャンバス)。並行して行われる演劇祭。それをほとんど全員参加で、生徒だけの力でやっているのですから。こんなこと、今だと許されないだろうなあ、と思えることがいっぱいです。実際の現在の高校生活って、私にはもうわからないことなんですけどね(笑)。

でも、私にとっては、これはやっぱり、懐かしい高校時代の雰囲気を思い出させられるお話でした。私は「旧制高校のよう」と東京の人に言われる、埼玉の公立女子高校で学びました。女子校でしたから、このお話の中の辰川高校ほどにはすさまじくありませんでしたが、それでも、歴史と伝統のある学校の、行事にかける迫力のようなものは同じでしたね。クラスみんなが、学校全体が、すべてをかけて熱中してしまうような、不思議な一体感。当日までの日々の高揚感。私は醒めた生徒だったけれど、それでもやっぱり、あの頃は一緒になって頑張っちゃったよなーと思います。

ヒロインの上田ひろみは、この作者のアラビアン・ナイトなファンタジー「これは王国のかぎ」のヒロインだったひろみです。前のお話はファンタジーで中学生、このお話では普通の高校生活を送る高校生。でも、根っこのところは同じです。ああ、成長したなあ、って感じ?(笑)。内容的には、そちらより、恩田陸の「六番目の小夜子」と「蛇行する川のほとり」を思い出しました。あ、でも、「蛇行」よりはこちらの方が古いのかな。いずれにせよ、高校時代の、不思議に狂騒的で、それでいて内省的な雰囲気が漂うお話。またもや、「私、こんなこと何も考えてなかったよなあ」としみじみ思いながら読みました(苦)。

ゆりかごが落ちても、きっと誰かが下で受け止めてくれる。
そんな甘えが許された、どこかで大人によって守られていた高校時代。
その中でヒロイン達がかわす「サロメ」についての話は、なんだかちょっと魅力的でした。
2006.08.03



トップへ
戻る
前へ
次へ




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送