ファンタジー基本図書?


「星の時計のLiddell」

密かにここに入れておきましょう(笑)。
静かで美しい、幻のマンガ。私にとっては大切な物語です。

「星の時計のLiddell」(全3巻)
内田善美著 集英社 1985, 1986

湖の畔の風の街、シカゴ。2年ぶりにこの街を訪れたウラジーミルは、学生時代の親友ヒューと再会する。物事にも人にも執着することのない彼が唯一、こだわりを覚えた人間、ヒュー・バイダーベック。彼は、学生時代からずっと、ひとつづきの美しい夢を見続けていた……。

ええと、マンガです。
それも今では古い、復刊の望みも絶たれているらしい、私にとっては特別な一品。今、街中に漂っている金木犀の香りが、久しぶりにこの本を手に取らせました。読んだ方にはおわかりかと思います。あるはずのない場所に漂う、幻の金木犀の香りは、物語の中でもひときわ印象的でした。20年が経った今でも、金木犀の香りがするとこの本を思い出します。読む年も読まない年もあるけれど、必ず一度は思い出しているような気がします。

薔薇の花の咲く幽霊屋敷。ポーの詩を諳んじる金髪の少女。青白い月光。そして、金木犀の香り。ヒューの見続ける夢は現実を越えて美しく、そして、彼にとってはただの夢ではなかった。やがて、彼とウラジーミルはその屋敷を求めて旅に出る。彼らを見守る人々には、ヒューの夢は、彼の存在は、「予感」でもあった。

物語自体も印象的ですが、中で交わされる会話のひとつひとつがとても深く心に残った作品です。最初に読んだ頃のことはもうあまり覚えていないのですが、一番最初に読んだときに「胡蝶の夢」の話にしばらくはまっていたのを覚えています。多分、その時点での私はその故事を知らなかった。それで一層印象的だったのでしょう。

「自分は本当に人間なのか、それとも、人間になった夢を見ている蝶なのか」

考えると恐ろしくなる。けれども、とても惹かれる。そういう風に、この本の中の様々な言葉が、私の中に響いていたのだと思います。今読むと、そこまではいきません。残念ながら、大人になるということは、やはりどこかで鈍くなるということなのかもしれません。鈍くならなければ、やっていけない。それもやはり、避けられない現実なのだと思うのです。

ウラジーミルの感じている、常に外側からしか世界を見つめられないという感覚は、私にはとてもなじみ深いものでした。実際には、私はとっても日本人だと思っているし、故郷を喪失しているわけでもない。けれど、人間の精神にいくつかの種類があるのだとすれば、私と彼は同じ種類の人間なのかもしれないな、と思います。とすると、私もヒューのような人を見つけると、惹かれずにはいられないのでしょうか。喪失の予感を感じながらも、見つめ続けずにはいられないのでしょうか。

今回一番印象に残ったのは、登場人物の1人、日本人留学生の女性、葉月のこの一連の台詞。

人は美しい物に心動かされる
でもそれは心動かされた人の中に美しさが内在しているからこそ
美は美となり得るわけで
自分の中に対応するそれの準備のない者には何の美しさも生じない
相互依存システムね

この前に、もうちょっと前置きがあるんですが、とりあえずここだけ(笑)。このところこの手のネタに色々と縁があったので、気になったのかもしれません。
来年の金木犀が咲くころ、私はまたこの本を読むでしょうか。その時は何に印象を受けるのでしょうか。
何年経っても、いつでも、何度でも読む。これは私にとってそういう作品の一つです。
2005.10.13



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